アラタアキ『先生と僕の偏愛的育成指南』ネタバレ感想:偏愛と純愛の究極ほこたて?
投稿:2024/11/13
偏愛と純愛の究極ほこたて?アラタアキ『先生と僕の偏愛的育成指南』(竹書房・2024年)の感想です。ネタバレなしの紹介パート、ネタバレありの感想パートに分けてお送りします。
『先生と僕の偏愛的育成指南』の紹介(ネタバレなし)
恋愛を描く作品の醍醐味といえば、繊細な心理描写や関係性を巡る駆け引きではないでしょうか。 実は両想いなのに、お互いそれを知らず片想いだと思い込んでいる「両片想い」など、 恋愛作品は様々な手法で私たちを魅了してきました。
BLにおいても、ふたりのラブラブな模様を描く甘い物語から、王道のラブストーリー、最後には死別が待っている悲しい物語など、 BLながらのストーリーテリングを用いながら多くの魅力的な作品が日々生み出されています。
そんな中、年の瀬が近づく2024年11月、私たちのもとに、泰平の眠りを覚ますかのごとく「偏愛」の黒船が押し寄せました。 その黒船こそ、本作『先生と僕の偏愛的育成指南』です。
表題からして分かる通り、本作は「偏愛」を強く推した作品となっています。 かわいさと美麗さが織り交ぜられたタッチと、繊細な心理描写を用いて、 私たちが「偏愛」と聞いて思い浮かべるものより数倍強烈な「偏愛」が描かれています。
本作は2024年11月に竹書房の「バンブーコミックス Qpaコレクション」より刊行されました。 作者のアラタアキ先生はこれまでにも『ほどける瞳』(祥伝社・2018年)などを手がけています。
なお、本作は性的なシーンのほか、Dub-con描写も含まれています。 下記の感想パートでも性的な表現が頻発するので、ご承知ください。
『先生と僕の偏愛的育成指南』の感想(ネタバレあり)
あらすじ(冒頭)
舞台はとある小児科病院。医者の司(つかさ)は子どもたちに好かれる良き小児科医でした。 そんな彼は、最近同じ病院に配属された新人小児科医の怜(れい)に羨望のまなざしを向けていました。
怜は新人ながらも、子どもたちとの信頼関係をすぐさま築き、気遣いも利いて同僚からも頼りにされる、 まさに理想的な小児科医でした。そしてなにより顔が良い。非の打ち所がないとはまさにこのことです。
司は、自分の思い描いていた理想の医者像と現実とのギャップに疲労を溜めるなか、ある夜勤の日、 たまたま居合わせた怜にそうした感情を吐露して、慰めてほしいと訴えます。 怜は困惑しつつも、普段子どもにしているように司を慰め、さらに疲れから勃っていた司のそれも慰めます。
しかし、様子がおかしい。司が嫌がるにもかかわらず、怜はおかまいなしに続けます。 怜が明かすところによると、怜は幼いころ司の両親が運営していた病院に通っており、 痛い注射を我慢するたびに、怜に「よく頑張ったね」とほめてもらうことを喜びとしていました。
そしていつしか、怜は「相手の嫌がることを我慢させて、最後にごほうびをあげる」ことに興奮を覚えるようになっていたのです。
ようやく捕まえることができた司を前に、怜は得意げな顔で彼を抱きしめます。
しかし、それまで嫌がっていたはずの司は、含みがある恍惚とした表情を浮かべていて…
果たして真の「偏愛」は…
『先生と僕の偏愛的育成指南』は、さながらメンコのように、 お互いが新たな情報を出し合いながら立場を目まぐるしく逆転しあうスピード感あふれる作品でした。
分かりやすいのが冒頭部。当初、怜は司に対して、単なるいち先輩医師として接していましたが、 実のところ、怜は司のことを幼少期から知っており、司に性癖を歪まされ、 司を追って医師にまでなったということが明かされます。
この時、司は怜のことを全く覚えていなかったという反応を見せますが、 その後には、むしろ司は意図的に怜の性癖を歪ませており、 ずっと彼が自分のもとに再び現れてくるのを待っていたということが明かされます。
作品前半のシーンだけ読むと、「偏愛」の攻めがノーマルな受けをどんどん囲い込んでいくような 作品にも見えるのですが、実のところ「偏愛」の度合いが強いのはむしろ受けの司のほうであり、 怜は司の意図通りに作り上げられた養殖の「偏愛」だったのです。
この形勢逆転のシーンは、「形勢一変」とか「反転攻勢」とか、とにかく世の中のありとあらゆる 逆転に関する語の用例にも使えるのではないかというくらい気持ちよく描かれます。
とはいえ、怜の「偏愛」も本物で、 幼少期の時点から「司に褒められるためにはもっと痛い思いをしなくちゃいけない」と考えこみ、 司に撫でられることで精通を迎えました。 司はこれらを意図してやってるんですから、もはやグルーミングの域に達してますよね。
支配している側のキャラクターが受けで、支配されている側のキャラクターが攻め、という構図も秀逸で、 本来なら性行為をはじめリードしている側であるはずの攻めが、 受けに対して文字通り心の底から依存している様というのが、多くのエッチなシーンを通じて描かれます。
偏愛と純愛、究極ほこたての勝者は
司に支配されながら性行為を続ける中で、怜は司を独り占めしたいと思っている自身の心を自覚します。
当初は、自分の性癖を歪めた司への復讐のつもりでした。しかし、自分が司に抱いている感情は 本当はそんなものではないと。そこで、怜は司への想いを自覚します。
しかし、それは怜にとっては叶わないことが運命づけられた恋でした。 司は自分以上に歪み切っており、本当の意味で自分を愛することはないだろうと。
そのことを思い知った怜は、司のもとを去ります。 しかし、それが天祐でした。押してダメなら引いてみよというのは恋愛の鉄則ですが、 怜は意図せず鉄則を行っていたわけです。出来る攻めは意図せず最適解を引いてしまうものです。
怜に拒絶されたと感じた司は間に合わせの人たちで自分の欲求を満たそうとしますが、 どうしても怜のことが忘れられません。 そして自覚します。司にとっても、怜が一番大事な存在であると。
再び怜が司のもとを訪れた時、司は弱りに弱り切っていました。 そこに怜の「純愛」をぶつけると、司はひとたまりもありません。 最後の形勢逆転が起き、「偏愛」と「純愛」の究極ほこたては、「純愛」の勝利で幕を閉じます。
それまで主導権どころか、支配という言葉すら相応しいような司ですが、 彼は「偏愛」は知れども「純愛」はこれまで味わったことがありませんでした。 そんな彼が見せるウブな反応は、先ほどまでとのギャップで一層良さが引き立てられます。
攻めと受けで主導権が入れ替わる作品というのは多々ありますが、 「偏愛」をテーマにしつつ、何度も主導権が入れ替わり、 その度にキャラクターの新鮮な反応や新たな関係性が読者にもたらされる。
『先生と僕の偏愛的育成指南』は、まさに年の瀬にやってきた「偏愛」の黒船ともいえる作品でした。
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